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応答し続けるということ 〜伊那小学校〜

― 伊那小学校で見た、学びの姿勢 ―

先日、長野県の伊那小学校の公開研究会に参加してきました。

「応答し続けること」

この言葉が、伊那小学校の学びを象徴しているように感じました。

長野短期大学学長 畔上 一康 先生の講演で「応答」という言葉がキーワードとして頻出していました。


1年生の授業を見せてもらいました。教材は「竹」。

けれど、いわゆる「竹で何かを作る授業」ではありません。

竹やぶのある場所で、子どもたちは思い思いに過ごしています。

木に登る子。高台で景色を眺める子。地面を掘る子。

一見すると、自由時間のようにも見えます。でも、そこにあるのは放任ではありません。

子どもたちは、目の前の世界とやりとり(応答)を続けているのです。

登れそうな場所を探す。

触ってみる。

試してみる。

やり直す。

それは、世界への「応答」です。


先生は、その姿を評価しに行くのではなく、

どんな物語が動いているのかを見に行く。

教師が計画の中に子どもを招き入れるのではなく、

教師が子どもの世界の中へ入っていく。

言葉になるものとならないものの「あわい」に、子どもは生きています。

そして教師は、その「あわい」に寄り添い続ける。


伊那小学校には、こんな言葉があります。

「子どもの一日は一編の詩である。今日一日が果たして詩足りえたか。」

先生方が大切にしている言葉だそうです。

応答し続ける一日。

自分なりのやりとりがあった一日。

それは確かに、「詩」と呼べるのかもしれません。

そして私は、こんなふうにも思いました。

先生にとっても、

目の前の子どもが“詩たりえたか”。

その子の世界に入り、

その子が見ている景色を想像できたか。

子どもの中に「詩」を見出せること。

それこそが、教師という仕事の喜びなのかもしれません。


世界と応答する時間をつくること。

「出会ってしまう」学び。

応答し続けることが当たり前になる場所。

私は日々の忙しさの中で、

ふと惹かれたものへの応答を止めてしまうことがあります。

もちろん、すべてに応答して生きることはできません。

けれど、自分がよりよく生きるためには、

自分との「応答」の時間も大切なのだと改めて感じました。

子どもにとっても、大人にとっても。

そんな時間をつくれる場を、培っていければと思います。

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